看護実習でありがちなのが、『教員と実習病院の指導者の意見が食い違って学生がどちらの考えに従えばいいのか迷う』、『教員と実習指導者の意見と患者の思いが食い違って学生が板挟みに合う』こと。
さらに実習中の学生が唯一できるケアを患者が拒否したときなんて、もうどん底に突き落とされてしまう気持ちです。
それでなくても実習中は相当な精神を削られているというのに、教員や指導者からも精気を吸い取られるなんて絶対に避けねばなりません。
そこで、今回は、実習中にありがちな『教員・指導者VS学生』『指導者VS学生VS患者』という場面において学生はどうするべきなのかを私目線で考えてみようと思います。
この記事を読んで、今まさに実習中の人、これから実習が始まる人、これから看護学生になろうと思う人、たくさんの人の精神的安定が図れるといいなと思っています。
実習中は辛いことが多いかもしれませんが、私の経験を参考にしていただいて有意義な実習になると嬉しいです。
教員・指導者 VS 学生 編
まず、この問題を考える際に注目したいことがあります。
それは『教員も指導者もひとりの人間である』ということです。
そして、さらに『それぞれの看護観を持った看護師』なのです。
対教員、対指導者と意見を交わす際はこれを頭の片隅に置いておいてください。
それを理解していると理不尽に思える指導にも光が見えてくるかもしれません。
教員と指導者の意見(看護の方向性)が違うときは本質を見極める
指導者に『○○じゃない?』と言われたので、それを教員に伝えると教員からは『□□じゃない?』と言われる。
答えが分からない学生にとって、双方の助言のどちらに正当性があるのかなんて判断できないですよね。
だから、助言を受ければ受けるほど、どうすればいいんだろう…と悩み、本質を見失ってしまうのではないかと思うのです。
では、本質とは何でしょう。
教員も指導者もそれぞれに看護観を持っています。
看護観というとすごく専門的でカッコいい響きですが、要は『自分の看護におけるこだわり』があるわけです。
教員や指導者は自分の経験を元に学生指導をするので、その『こだわり』の方向性が違えば同じことをする場合でも違いが出てきます。
学生のうちは学生自身のこだわりが弱いので、指導によって受けるアドバイスや助言に翻弄されてしまうのではないかと思います。
でも、それは当然ですから安心してください。
逆に、経験の浅い学生が教員や指導者の考え方を一蹴して、『私、失敗しませんから』的な態度でいたら大問題です。
教員や指導者からすると、相当な自信家に映ることでしょう。
助言を受けることで不安になったり、焦ったり、自信を喪失してしまったり、学生は自分の考え方を否定されたような気持ちになるものです。
自分なりに一生懸命考えて、徹夜して時間をかけて練りに練ったものですからね。それはそれは傷つきます。
しかし、そのような場面で『私の考え方は間違っているのかしら』と考えてはだめですよ?
なぜなら、先ほどからお伝えしている『看護観』がそれぞれに違うからです。
助言を受けて迷ったときに真っ先に考えなければならないのは、『患者さんにとってどうなのか』ということ。
厳しい助言やアドバイスを受けることもあるでしょう。
でもその本質は『患者さんのために』という思いです。
自分が徹夜で練ってきた計画の中に患者さんはいますか?指導された内容の中に患者さんはいますか?
指導された言葉や内容の表面的な部分に悩むのではなく、患者さんのためになるのかを常に考えてみましょう。
指導や助言がいつも正しいとは限りませんし、良い影響も悪い影響もあるかもしれません。
自分の看護観を育てる一歩として指導や助言を客観的に受け入れてみましょう。
自分の看護観を根拠をもって説明できるか
看護観の違いがあるから、やり方は人それぞれ違います。
麻痺のある患者さんに対する食事介助を例に挙げると、
『麻痺があるから全介助で摂取してもらった方が誤嚥も少なくて良いかもしれない』
『リハビリの一貫にもなるし、見守りながら一部介助で食事を摂取してもらおう』
と考えるかもしれません。
その時、学生がどう考えるかです。
教員や指導者の考え方は明らかに違っています。
でも、両者ともに自分の考え方を決定づける何らかの情報を得ているはずなんです。
それを根拠に『全介助』と『一部介助』が分かれてしまっているだけなんですね。どちらが良いかなんて分かりません。
しかし、自分の思いを発する時は、情報から得たこと(根拠)を元に私はこう考えましたと言えることが重要です。
理屈で相手をねじ伏せる…というと語弊があるかもしれませんが、相手が反論できる隙をなくすというスタンスで考えると良いと思います。
そこで、もし仮になんらかの指導が入るのであれば、単純に情報収集不足です。
患者さんにとって最適な看護を提供するにはいちばん新しい情報が必要になってきます。
学生のうちは、カルテばかりを眺めて情報収集したつもりになっていることも多いです。
そのカルテの情報は今の患者さんの思いまで記載されていますか?
実習中はとにかく患者さんのところに行きなさい!と言われることが多いですが、本当にその通り。
現在進行形で患者さんの状態は変化し続けています。
それをしっかり把握するために、ベッドサイドに行って患者さんと語り合うことは非常に重要です。
診療科目や患者さんの状態によっては、常にベッドサイドで時間を共にするというのは難しいのですが、できるだけ患者さんとコミュニケーションを取れるよう心掛けなければいけないかなと思います。
しかしながら、ある程度情報取集できるようになると、看護観は違えどスタッフの考え方はおのずと一致してくるものです。
そのため、経験値が豊富な教員や指導者の考えや方向性は間違っていないことが多いでしょう。
もし譲れない思いがあるのなら、指導を受けた部分について自分なりに根拠をもって説明できるようにになるといいですね。
教員や指導者から見放されたのではと不安になったら
なんだか自分だけ指導されてないような気がする、自分だけスルーされているような気がする。
核心のない『気がする』という、心がざわざわしてしまう状態で精神安定上良くありませんね。
プラスに考えるならば、『自分は指導する必要もないくらいできているんだ』ということですが、その考えに至るには難しいですよね。
できていない自分を責めたり、どうしたらいいんだろうという漠然とした不安を抱えてしまう人が大半だと思います。
そんな時は、誰のために実習にきているのか、何のために辛いことを乗り越えようとしているのかということを振り返ってみてください。
それは、患者さんと自分のためですよね。
そうは言っても、結局単位が取れるか取れないかは教員や指導者にかかってるじゃない!と思う気持ちも分かります。
では、どうしましょう。
私なら…教員や指導者に付け入る隙を与えないほど勉強しますね。
勉強したら勉強した分だけ、絶対結果がついてくるのがこの世界ですから。
私の強がりな性格も関係していますが、勉強一筋!一匹狼!を貫いていると、不思議なことにいつの間にか一人前に扱ってもらえるようになっていたりします。お試しあれ。
指導者 VS 学生 VS 患者 編
せっかく良かれと思って考えたケアを患者さんに拒否されたら悲しいし、もう2度と患者さんに受け入れてもらえないんじゃないかと気が気じゃないですよね。
ここからは実習中の『患者・学生・指導者、3者の関係性』について考えてみることにします。
学生の生の声
【事例】
トイレ以外はベッドにずっと寝たきりの人で、指導者によると清拭や陰洗も必要とのことなのですが、その日患者は熱があり、「今日は疲れてるからやって欲しくない」と話し、それを指導者に報告すると「患者はしたくないって言ってるけど、ほんとにやらない方向でいいの?時間たってからまた確認した方がいいんじゃない?」と言われて、やりたくないって言った患者にもう一回時間おいて確認したところ、また「さっきも言ったけど今日はして欲しくない」と、少し機嫌悪そうに言われて、機嫌悪そうに言われたことを指導者に報告したら「清潔のケアは毎日やらなきゃ患者の皮膚トラブルとか感染の元になるのは分かるでしょ?じゃあせめて体だけでも拭かせて貰ったら?」と言われて、今度またそれを患者にいいに行ったら、やっぱり断られて、案の定、患者はかなり嫌そうな表情をしていました。
何回もやりたくないこと無理強いする形になってしまい患者に申し訳なく、でも指導者にはケアは必ずやるように言われるし、患者と指導者の板挟み状態で、どうすればいいか分からなかったです…。
また、高齢者独特の訛りがあり、患者の言ってることが聞き取りにくい私にとってはもっと辛かったです(患者も怒ったように話すし…)…
なぜ、患者が嫌がることを無理強いするようなことをしなければならないんでしょうか?
私も、もし入院からずっと清潔の援助がやられていなかったり、2日以上ケアがされてなかったり、常にオムツに失禁する方であったら、患者の体調が悪くない限りやらなければならないとは思うのですが、(失禁があれば熱の有無に関わらずやりますが)毎日清潔の援助をしていて、トイレにだけは歩いて行ける、患者が体調わるくて援助を拒否している、そういった状況であるのにわざわざ患者にしつこくケアをしなければならないことを伝える意味が分かりません。
「今日はやって欲しくない」と言っているのに。
私に対して不信感を持つかもしれないし、あの学生くどくて嫌だな、しつこいし受け持って欲しくないな、といった感情を持つかもしれません。
指導者と患者の板挟みになるのがほんとうにしんどいです。
〔知恵袋より抜粋〕
すごく考えさせられますね。
詳しい情報はもちろん記載されていませんが、歩行してトイレに行けることからADL(日常生活動作)は高いと思われます。
なまりがあって聞き取りにくいけれどコミュニケーションも良好な様子。
でも学生はこの聞き取りにくさが苦痛なようです。
それぞれの思いはどうだろう
3者それぞれの思いを私なりにまとめてみました。
- ケアをしたくないと言っている患者さんに何度も同じことを伝えなければならない
- 患者さんの言葉が訛っていて聞き取りにくい
- しつこくケアをすすめる意味が分からない
- 指導者と患者さんとの板挟みになっている
- 患者さんが自分に対して不信感を持つかもしれない(しつこい、くどい等)
- ケアが必要なことは理解している
- 疲れてるからやってほしくない
- 何度も同じことを言われるので嫌だと思っている(可能性がある)
- ケアは患者さんにとって必要なことである(感染予防、皮膚トラブル防止)
- 患者さんが嫌だと言ったらしなくて良いの?と学生に対し疑問を感じている
どの立場から見ても、当たり前に誰もが思うことなのかなという印象です。
学生はそこまで無理強いすることはできないでしょうし、患者さんはやりたくないという思いがあるのでわざわざ自分の考えを曲げてまで学生に付き合わないでしょう。
指導者としては、実習で「患者さんがしないと言ったからケアができません」と言ってくる学生に対して「はい、そうですか。じゃあ、しなくて良いです」なんて言えるはずもありません。
今まで私が話してきた流れからすると、『患者の思いを優先しましょう』=『清拭なんてしなくていいじゃん!』となりそうですが…、それではダメなんですね。
学生はコミュニケーション能力を磨くべし
さて、それでは学生がどうするべきであるかについて考えてみましょう。
ここではあくまで学生がどう行動するべきかを考え、ケアが必要か否かについては考えないことにします。
実習中に意外と見落としがちなのが『コミュニケーション能力』だと思っています。
ケアももちろん大事です。寝たきりの方は、セルフケアできないのですごく重要ですよね。
今回の場合、患者さんは歩行できるしトイレにも行けるし、自分のことは自分でできそうです。
そのような人に、何度も『体を拭きませんか?』と言ったところで初めからやりたくないと主張しているのですから、不機嫌になるのは目に見えています。
では、どうするのか。
『患者さんが体を拭いてもいいかな』と思えるようなコミュニケーションを取ること、またそのようなコミュニケーションを取れる技術を身に付けることです。
人って、良いことがあったり、褒められたり、前向きな言葉をかけられたり、自分の精神状態にマッチした対応を受けたら気分が変わりませんか?
些細なことでも気分が晴れて、今まで嫌に思っていたことも全然気にならなくなることってありますよね。
まず、体を拭きたくないという患者さんの思いをどれだけ引き出せたかが重要になると思います。
十分話して思いを聞いて、どうしても身体は拭きたくないんだということが分かれば、指導者に患者が拒否している理由を具体的に伝えられるはずです。
それを聞いた指導者は、患者が拒否している理由にもよりますが、患者の思いを否定してまで無理強いさせることはないと思います。(と、思いたい)
ケアを拒否していることを報告するのも言い方次第、板挟みになるのか納得してもらえるのか変わってきます。
【患者から有効な情報が得られていない場合】
【患者から有効な情報が得られている場合】
患者さんに清拭を勧めてみましたが、熱があって倦怠感が強く今日はしたくないそうです。
普段からお風呂は好きではないようで、何度かお話ししてみましたが無理に身体を拭かせてもらうのも患者さんに負担になると考えました。
そこで、トイレ歩行はできるので、トイレのウォッシュレットで陰部を清潔に保つ方法を提案し納得してもらえました。
本来なら汗もかいているので全身清拭を手早く行うべきですが、拒否が強いため部分浴として手浴・足浴を提案し患者さんに承諾を得られました。
今日は手浴と足浴を行い、明日もう一度清拭を勧めてみようと思います。
そうなんだよね。
あの患者さん、お風呂が好きじゃなくていつも入浴してもらうのに一苦労しているの。
しつこくいうと機嫌が悪くなってしまうしね。
じゃあ、今日は手浴・足浴を実施して、明日、また患者さんに上手に清拭を促せるように考えてきてくださいね。
という結果になるかもしれませんし、ならないかもしれません。
私が考えた例は全く参考にならないと思いますが、実際に言葉を巧みに使いこなせるかどうかは重要だなと思います。
学生の患者さんの気分を前向きにさせるトーク力というか、雰囲気というか、言葉ではなかなか言い表せないんですが…。
でもやはり、本質は患者さんのことを思う姿勢があるからなんだと思うんです。
実習で板挟みになって辛くなるかどうかは、『患者さんへの思い』と『コミュニケーション』にかかっていると思います。
もし、実習でなにがなんだか分からない、どれから手をつけていいやら分からないと迷ったらぜひこの2点を思い出してみてくださいね。